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実際にあったモニュメント・メン
フランクリン D. ルーズベルト博物館Webサイトより

1942年12月8日、スミソニアン協会国立美術館はルーズベルト大統領に枢軸国又はその権力者により強奪された欧州における芸術作品、歴史的遺物、そして記録を保護し保存するための組織を作り、取り戻し、正当な持ち主に返却することなどを請願した。

この計画は1943年6月23日にルーズベルト大統領により承認され国務省による欧州の芸術作品、記録的遺物の保護と救済の米国委員会が創設された。委員 会メンバーは議会図書館、国立美術館を含む様々な図書館や博物館から専門家が集められた。このグループの責任者として最高裁判所判事のオーエン・ロバーツ が任命されたことからロバーツ委員会とも呼ばれる。


フ ランクリン D. ルーズベルト博物館の初代館長フレッド W. シップマンは1944年1月にロバーツ委員会へ欧州派遣チーム(モニュメント・メン)のリーダーとして招聘された。シップマンたちは4月18日から5月4 日まで占領下のイタリア中を飛び回り、アーカイブズ保管場所を調査した。

米国政府はこれらの記録に3つの理由で興味を持っていた。第一は軍事戦略的な価値のある情報として。2番目はこれらの記録とアーカイブズをイタリアの復興に役たてること。最後は、イタリアのアーカイブズに記録されている 教会、家系、国家アーカイブズなど中世にまでさかのぼる文明と文化の歴史を保護すること。

シップマンは滞在中に24の都市を訪問し39のアーカイブズを調査した。シップマンと彼の仲間たちは無数の記録を救出した。彼らは軍隊にアーカイブズ資料の適切な取り扱い方法と保存方法を教育し、地元のアーキビス トに対し記録の復元計画作成を支援し、保存とアクセスのために数百件の文書のマイクロフィルム複製を行った。モニュメント・メンは世界の歴史の貴重な一部が永遠に失われることから救うことが出来た。

フランクリン D. ルーズベルト博物館のサイトはここ
ミケランジェロ・プロジェクトのオフィシャルサイトはここ